夏の家にまつわる家族のウソと、アルビじいちゃんの老い

2015年8月2日




先週末、アルビじいちゃんの夏の家にダンナと一緒に行ってきた。

3泊したのだけれど、そのうち1日が晴れて、空が青かった。

今年はオウルは、というかフィンランド全体が、6月くらいから雨気味でしとしと寒く、夏らしい晴れた日というのがなかったので、たいへんハレバレとよいきぶんだった。

途中からダンナ母エリナとダンナ父ヨルマも合流し、肉をやいたりビールのんでよっぱらったり、サウナにはいったり湖にはいったり魚をつったり笑ったりこけたり蚊にさされたり、たのしくすごした。





アルビじいちゃんは、いっしょじゃない。

前に、アルビじいちゃんは自宅で倒れているところを訪問ヘルパーさんに発見され、そのあと病院に運ばれたと書いた。しばらく入院してケガなどは治ったんだけれど、お医者さんに「ひとり暮らしは無理です」と宣言されてしまった。しかたがないのでじいちゃんは、同じ町にある老人養護ホームのようなところの空きがでたときにそこに入った。それ以来、基本的にはそこで暮らしている。

家族が迎えにきて一緒にずっとすごせるときは外泊できる。すなわち、そういうとき以外は養護ホームのほうが外泊させてくれない。

なので、クリスマスだとかイースターだとか何かの記念日だとか、それ例外でも、じいちゃんがそうしたいと言えば、娘息子家族、つまりダンナの両親やおじさんおばさん夫婦やいとこの家族たちが迎えに行く。

そういうとき、息子息子家族の家に泊まりに行くのがまわりとしては楽ちんなのかもしれないのだけど、アルビじいちゃんはいつも自分の家に泊まりたがる。

じいちゃんの家は、じいちゃんが住んでいたときそのままにしてある。
暖炉の上には銀の写真たてにはいったばあちゃんの写真が何枚もかざってあり、台所の戸棚にはじいちゃんのお気に入りのコーヒーカップがならんでいる。書斎の壁には勤め先にもらったなにかの表彰状のようなのがかかり、机の上には読みかけの本にしおりがはさまっている。

庭の草がのびほうだいになると廃屋風になってしまって悲しいのと、空き巣の心配など用心も悪いので、草刈なんかの手入れはご近所さんにたのんである。

家の中のほうも、なにも問題ないかときどき家族の誰かがようすを見に行ったりするし、冬になれば暖房をまったくいれないとアレコレ家が痛むし雪のこともあるので、誰かが泊まりに行って家をあたためたりしている。




じいちゃんには自分の家以外にも行きたい場所がある。
それはもちろん、この、夏の家だ。

じいちゃんには好きなときに好きなだけ家族に電話できるようにと、ダンナ両親がノキアのスマホをだいぶん前にプレゼントした。で、アルビじいちゃんはかけ放題プランをフル活用してけっこうないきおいと頻度で家族に電話をくれる。

で、いつもみんなに聞く。

「夏の家、今週はだれがいるんだ?あっちの様子はどうだ?」





前も書いたけれど、いまこの夏の家はじいちゃんの子供たち、ようするにうちのダンナ両親やおじさんおばさんたちが共同で所有して週替わりで使っている。

じいちゃんがこの夏の家に行きたがっているのは、みんな知っている。

だけどみんな、電話でじいちゃんにこう言う。


「雨がひどくて空も暗くて寒いし、湖の水もつめたくて。」


じいちゃんはそれを聞くと、


「そうかー。 じゃ、また今度にするか。」

と言うのだそうだ。




ほんとは、天気のいい日もあったのだ。



じいちゃんは最近ときどきダンナ母、エリナの名前がすっとでてこない。

孫であるダンナの名前はもうだいぶ前に忘れてしまったのだけれど、最近は顔もわからない。

1人でふらふらと老人ホームを出て歩いていってしまって、警察のヒトにホームまで送ってもらったこともあった。はじめてじゃなかった。

1人ではトイレにいけないのだけれど、家族にはそれをだまっていようとする。

歩くと、アルビじいちゃんが思っているよりつまさきがあがっていなくて、よくつまづく。

老人ホームに入ってから、晴れた空がみるみる暗くなってどしゃぶりがたたきつけてくるような勢いで、アルビじいちゃんは本当に年をとってしまった。



それでも今年の春先、ダンナ母エリナの姉であるヒルッカ夫婦が去年新しくしたサウナの石やらを見せようと、何泊かの予定でアルビじいちゃんをこの夏の家につれて行ったのだそうだ。

ダンナのおばさんであるヒルッカは、アルビじいちゃんの長女だ。
アニメ映画の『魔女の宅急便』にでてくるオソノさん(主人公のキキが居候しているパン屋のおくさん)を年をとらせたようなかんじの世話好きなヒトで、ゆっさゆっさ歩いて大きな口あけてガハハと笑う。





夏の家から帰ってきたヒルッカが、ダンナ母エリナに電話をしてきた。

ちょうどそのとき私はダンナ実家になにがしか用事があって来ていた。リビングでコーヒーかなにか飲んでいたんだけれど、台所で電話している2人の会話がばんばん聞こえてくる(ヒルッカは声が大きいので、電話でしゃべっている声がとおくからでも聞こえる)。そんなわけで、なんとなく話が耳にはいってきた。

話の内容は、主にアルビじいちゃんの様子についてだった。

「しょうがないね。」

と言って、エリナは電話を切った。


その日から、みんな、アルビじいちゃんに「夏の家では今週もざあざあ雨がふっていた」と言うようになった。

今年の夏は本当に雨が多くて寒くて、晴れて20度になる日でさえ稀で、テレビのニュースでなんかも冷夏だ冷夏だと言っていたから、みんなから毎週毎週『雨だった』って言われても、じいちゃんはそんなもんだろうなと思っていたかもしれない。

日曜日に私らは夏の家から帰ってきた。
月曜日に、ダンナ両親の車で運んでもらったものたちを回収しに、彼らの家に行って裏口からはいったら、ちょうどダンナ母エリナがアルビじいちゃんと電話で話しているところだった。

「思ったより風なかったけど、やっぱ寒かったわー」

と、ダンナ母エリナ。
たしかにそう。うそじゃない。

泊まりがムリでも、アルビじいちゃんを日帰りで夏の家に連れて行ったりとかは、できないのかなと思ったりもする。でも、それができるんであれば、とっくに誰かがそうしてるんだろうなとも思うので、私はだまっている。


生きてるって、どうなるかわからないことだらけだけど、そんな中でも「絶対こうなる」って言えることがふたつある。

1つめは、「死ぬこと」。
生きてるってことは、いつか死ぬっていうことなのだ。死なないって選択肢を選べるのは、ゾンビとドラキュラと桃ばっかたべてるどこかの仙人だけだ。

2つめは、「年を取ること」。
きのうより今日のほうが若いってのもアリだよねと思っちゃうヒトは、健康番組のお肌によい食品コマーシャルの見すぎである。出生した日から50年たてば体の細胞はちゃんと50年使用したふうになるし、90年たてば90年分の消耗がある。
メンテナンスでいい状態をより長くたもつことはできるかもしれないけれど、それでも最後はよぼよぼになってしまう。バナナが茶色くなるのを止められないように、人間だっていつまでも若くはいられないのだ。時間の経過とともに老いていくものなのだ。



こんなことをもんもんと考えていた先日、映画『ターミネーター・ジェネシス』をダンナと一緒に見た。

年をとってヨボヨボ、手の震えとかもときどき止められなくなってしまったボロ機械ターミネーター・シュワ氏が、「年とった」とつぶやきながらもがんばる映画だ。

最後の最後のハッピーエンドで、死んだと思った彼がぴかぴか若返って帰ってくる。ほおりこまれた液体金属みたいなハイテクななにかの液体に浸かったら、意図せずアップグレードされちゃったちゅうのだ。
(見てない方にはすんごいネタばれで、すんごいすみません)

「アルビじいちゃんもアップグレードできたらいいのにね」

と、ダンナ。

そうね、私もそう思う。

アップグレードされたら、アルビじいちゃんすんごい勢いで夏の家のペンキ塗りやるだろうな。
あと、切り株の掘り起こし。腰痛いって言って何年か前にやりかかったままだからな。。



それじゃ、また!



にほんブログ村 海外生活ブログ フィンランド情報へ

けっこう長いことフィンランドの話書いてないことに気が付きました。すみません。なのでダンナ日本話は今日はお休みしました。それはいいけどたまには元祖ターミネーター・ベリマッティ不器用男パシの近況やご近所ウィンク男ペッカの話などのフィンランド系の話ももっと書いてよ!と思っていただける方がおおければ、そっちも書く気になるかもしれないので、応援クリックいただけると嬉しいです。↑

コメントを投稿

Latest Instagrams

© Kato@Oulu. Design by FCD.