クリスマスはおかゆとお墓まいりとミッコ伝説で

2013年12月27日


わたしがフィンランドでクリスマスをすごすのは3回目。今年のクリスマスイブも、おかゆではじまった。



朝10時、ダンナ母より「おかゆ招集」を受ける。
各自お皿をもってダンナ実家、ナベ周辺に集合。

ちなみに、うちのダンナの実家は、うちから車で5分、自転車で20分のところにある。
ちなみに、うちのダンナの実家は、1996年の高校留学中に私がホームステイしていた家だ。

おかゆ招集中継の途中でとつぜんの告白で恐縮ですが、私と私のダンナとダンナの家族はそういうわけでもうかなり長い付き合いなのだ。

こう言うとかなりの確率で「え!!じゃあダンナさんとは出会ったころからずーっと付き合ってたの?」というレスポンス&質問うけますが、そんなことはないです。出会ったころのダンナはまだ小学生、私は高校生。というわけで、お互い「アウト・オブ・ガンチュウ」(これって死語ですか?)な年月が相当長いことありました。



私とダンナ、両親だけのときは、テーブルセッティングはいつもラフ。クリスマスといえどこのメンバーであれば、おかゆもナベむき出しでドンとテーブルにスタンバイ。

(このメンバー以外の人が入るときは、ナベごとじゃなくもっとこじゃれた大皿におかゆをよそう)

ダンナ両親がいないときに勝手に裏口からあがりこんで片栗粉をかりていくヨメは、もうだいぶ前にお客さん扱いの対象から外れている。


紹介が遅れたが、このおかゆは「リーシプーロ」といって、お米を牛乳で炊いたもの。

この上にふつうは砂糖とシナモンをかけて食べる。人によってはこの上にさらにつめたい牛乳をかけたり、シナモンのかわりにジャムをかけたりする人もいる。

私はこれがものすごく好きで、日本にいるときもよく作って食べていた。
味見したいという人がいればもちろんさせてあげたけど、今まで私に意気投合してくれた日本人はひとりもいない。

「お米が甘い」「お米を牛乳で炊く」というのがダメらしいけれど、さくらもち、あまいじゃないですか!ドリアってお米に牛乳でできたソースかかってるじゃないですか!
それとも「甘い・お米・牛乳」のトリプルな感じがだめなのかしらん。。?

やや、じゃあみんなが大好き「雪見だいふく」はどうなんだ、甘いし、米っぽいし、クリームじゃないか!なんで雪見だいふくならよくて、リーシプーロはだめなのか!??!

謎は深まるばかりだが、とにかくフィンランドにいると、誰にもネガティブコメントされずに思う存分リーシプーロを食べられるのでうれしい。



リーシプーロをたべているうちに、もう日が暮れてきた。昼間の1時半。
クリスマスツリーの下にはこれからヨウルプッキ(サンタクロースのこと)が配ることになっているプレゼントがスタンバっている。

小さい子供がいない家ではヨウルプッキの運搬の手間をはぶくためにツリーの下にプレゼントを置いたりする。小さい子供がいる家では、何が何でもヨウルプッキが全部のプレゼントを担いで玄関からはいってくる。(クリエーティブなヨウルプッキの場合は、もっと別の運搬&登場バリエーションがあるのかもしれない)

ヨウルプッキの役は知り合いや親戚に頼んだりする。また、「サンタバイト」もある。そういえば、サンタバイトの収入を税務署にちゃんと申告しない人がおおいことについての風刺漫画がきのうの新聞にのっていた。



去年ダンナの兄夫婦が離婚したので、キッズは今年はダンナ兄の元ヨメの実家でクリスマスを過ごすことになり、わたしたちはキッズなしのクリスマスだった。

ダンナ兄はしかし、ヨウルプッキ役として元ヨメ実家にのりこんでいった。



ヨウルプッキ、出動!
キッズによろしく!



1時間くらいして、サンタもといヨウルプッキとその運転手が帰ってきた。
こんどは全員でお墓まいりにいく。
ダンナ実家のお墓は、うちから10分くらい離れたところにある。

お供えは、ろうそく。

風で吹き消されないようなカバーがついたお墓詣り専用のろうそくがスーパーやホームセンターなどで売っているので、それを持参。


ちなみに私はフィンランドのお墓を見るのが好き。

墓石自体がランタン風になってろうそくを入れられるものや、故人の好きだったと思われるもの(魚とか鳥とか動物とか)のレリーフやプチ銅像がついていたり、生きていた人の数だけデザインがいろいろあって、おもしろい。その人はどんなひとだったんだろうと思う。
ふだんあまり見かけないフォント(文字のデザイン)もたくさんあって、ちょっとテンションが上がる。
このキルヤンデルさんちのフォントもイケてるわ。。。


こちらはお花やコケや木の枝、ランタン、天使のお人形やリースで飾った新いお墓。このお墓は、夏に来た時も、秋にきたときも、いろんなお花やろうそくで飾ってあった。

私も死んだらこんな風に飾ってもらえたらうれしい。
私が死んだあとでもみんなが集まって、わいわいかざったり、今年はこの飾りにしようかしらとか、そういう話でもりあがってほしい。



ダンナ実家のお墓は墓地のいちばんすみにある。
他のお墓とかなり距離がはなれていて、墓石もほかのお墓の3倍くらいあって、けっこう目立つ。

なんでこんなロケーション、こんな墓石になったのかというと、すべてはうちのダンナのひいおじいさん、ミッコがそう望んだからなのだ。

望んだ、といっても「教会のすみの静かなロケーションにしたいわ、墓石も大きめで。牧師さん、いいかしら?」とか言いつつ墓地の土地を買ったとかそういう話ではない。

ロケーションは教会とのケンカの結果、そして墓石のサイズはミッコの教会への腹いせの結果なのだ。




ミッコは生前、教会と大喧嘩をして教会から脱退した。
それが原因で、死んだとき教会には属していない人用の「教会内へき地」に埋葬されることになってしまったのだ。

生きているときから死んだらそこに埋められるだろうことを知っていたミッコは、死ぬ前に自分の長男(うちのダンナのおじいさん)に、
「どうせそこに埋められるなら、あの墓地中で一番デカい墓石をつけてくれ!」
と言い残したという。

ミッコの希望通り、この墓石はいまでもこの墓地でいちばん大きい。

しかもまわりのスペースもかなり余裕があるので、一族みんな教会から脱退しなかった人もした人も、みんな一緒に埋葬されている。墓石には13人分の名前が刻んである。




ミッコは1884年生まれだ。
1884年といえば、日本は明治17年。蒸気機関車がはしりはじめ、ぼちぼち洋装の人がふえはじめつつも、まだほとんどの人が着物着てはだしで暮らしていた頃。

ミッコが生まれた当時、フィンランドは当時ロシアの従属国だった。だから、ミッコが生まれたのはいま私が住んでいるところから自転車で10分くらいのところにあるのだけれど、正式な記録などではミッコはロシア生まれ、ということになるのだと思う。

フィンランドがロシアから独立したのが1917年、ミッコが33歳のときだ。
青春時代にロシア革命を体験し、これから自分たちで国をつくっていくんだと(たぶん)誓ったミッコは警察官になった。同時に教師も兼業していて、詩や小説も書いたりして、いわゆる地域の名士だったらしい。

そんな人でも、当時かなりの影響力をもっていた教会から脱会するというのは、よほどの覚悟がなくてはできなかったと思う。

や、そういう人だったからこそ、引くに引けなくて脱会したのか?
なんでミッコは教会とケンカしたのか?何が気に入らなかったのか?
すてゼリフはあったのか?
おくさんはそのとき何と言ったのか??

私の質問の答えを知っている人が今まわりにいないのだけれど、ミッコの人生は本になっていて図書館にあるらしいので、フィンランド語が堪能になったらまっさきに読んでみたいと思う。




ミッコ・レジェンドで話がそれたのだけれど、お墓詣りの後は家に帰ってきてクリスマス・ディナー。ごちそうがならび、みんなでおいしくいただいた。ごちそうの写真は撮り忘れ。そういうわけで、クリスマスのごちそうレポートは、また来年させていただきたいと思う。

それでは、また!


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